なぜいま、そんな話を持ち出すのかというと、これが実にたいへんなことだったからです。
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といいますのは、この予算委員会は、「復興、エネルギー、原発、環境問題に関する集中審議会」だったのです。
つまり国際問題は、この日の議題ではなかったのです。
当日予定した直接の議題ではないけれど、国として議論すべき喫緊の課題。
そういうものは、存在します。
たとえその日が、環境問題や原発についての国会討論会であったとしても、たとえば、その日に、どこぞの国から日本にミサイルが撃ち込まれたとしたら。
それでも、あくまでその日は環境問題審議会だから、ミサイルのことは、たとえどれだけ死傷者が出ようが「関係ない」とは言えないはずです。
要するに平時と非常時では、対応が違う。
あたりまえのことです。
では、日本を貶めるための意図的工作活動が米国内で堂々と行われ、そのための公式な報告書が出されたという事案はどうでしょうか。
放置すれば、たとえそれがデタラメな内容であったとしても既成事実化し、日本は大きく国益を損ねるのみならず、日米関係という大切なつながりにも、亀裂がはいりかねません。
ですから中山恭子先生は、これをたいへん重要な政治問題として、この日の予算委員会で緊急で動議を出されました。
ですが、繰り返しになりますが、その日の審議会は、資源エネルギー問題であって、外交問題ではありません。
この日、議場では、実におもしろいことが起こりました。
まず、中山恭子先生の質疑に対して、自民党、公明党の理事から議長に宛て、「中山恭子先生の質問は、本日予定している議題と異なり、本日議論すべき内容ではない」と抗議が出されたのです。
自公の発言は、筋は、その通りです。
けれど、道理は通りません。
なぜなら、国家緊急の課題が目の前にあれば、そちらを優先するのが、道理だからです。
いまは、安倍内閣の時代ですから、当然与党は自民、公明です。
そして中山恭子先生は、他の左翼的野党とは、距離があり、どちらかというと、自公に近い議員さんです。
その中山恭子先生に、味方であるべき、自公側から、反発が出たのです。
さて、どうなったか。。。。
なんと中山恭子先生は、異議を唱えた自公の委員(議員)二名以外の、その場にいるすべての議員さんたち、政党をとわず、すべての議員さんたちを、全員、味方につけてしまわれたのです。
とくべつ中山恭子先生が、何か発言したとか、そういうことではありません。
ごく自然な流れとして、中山恭子先生の人間力のようなものが、議場にいる全ての議員の良心を呼び覚まし、全会一致で、中山恭子先生の動議を、その場でちゃんと議論すべし、という流れができあがってしまったのです。
そして中山恭子先生は、安倍総理から、本件対策を至急講じるとの答弁を引き出したのみならず、日本における国際諜報組織の必要性(日本版NSC)の設立についてまで、今国会で法案を通し、設立させたいとの回答を引出してしまったのです。
さらにそれだけではなく、真の国際親善とはいかにあるべきか、ということについて、なんと麻生太郎副総理からその体験的真実を、ちょくせつ語っていただくという、離れ業までやってのけれしまわれました。
国会や、各種予算委員会において、テーマに沿った議論といいながら、まるで噛み合ない、ただの非難の応酬を、それも日本を代表する閣僚を前にタメ口をきくなど、きわめて失礼極まりない発言で、見苦しいやりとりが延々となされるという場面には、よく遭遇します。
不毛の議論とはよく言ったもので、ハナから落しどころなど持とうとしない、ただ批判したり非難したりして、閣僚の信用を損壊することだけを目論むことが、なにやら、国会の議論とされているようです。
けれど、中山恭子先生の質疑は、日本の国会が、ただやみくもに対立することがいいことなのではなく、ちゃんと日本語の会話をして、全会一致の合意をきれいにとりつけることが、ちゃんとできるのだ、ということを歴然と示して下さったように思うのです。
人や国を治める方法というのは、二通りあります。
会社や、社内の各セクションの運営も同じです。
それは何かというと、「立場や地位を利用して他人に何かを強制する」という手法と、「立場や地位に関わりなく、みんなを支えながら、全員の合意を形成し、全会一致でみんなの気持ちをひとつにしていく」という方法です。
前者が、支那、朝鮮、共産主義的手法、後者が古来からある日本的手法です。
たとえば、みんなで水路を掘って、運河を通そうとしたとします。
皇帝が命令し、将軍たちが近隣の町や村から人々を徴発し、強制労働させて、運河を掘る。
そのひとつの例が、以前にもご紹介した京杭大運河(けいこうだいうんが)です。
これは北京から杭州までを結ぶ、総延長2500キロメートルの大運河です。
隋の二代目の皇帝、煬帝(ようだい)が発案し、わずか5年で、これだけの施設を完成させました。
これだけみたら、すごいです。
けれど煬帝は、この運河建設のために、女子供まで含む100万人の民衆を強制的に動員し、使役したのです。
強制労働というのは、世界中に例がありますが、基本的にその仕組みは変わりません。
作業員にろくに飯も与えず、昼夜を問わず、死ぬまで、ただ働かせます。
食べれないから、労働者は骨と皮ばかりになる。
それでも、尻に肉がついていれば、まだ働かせます。
そうすると最後には、並んで立つと、前に立っている人の尻の穴が上から見えるようになる。
そこまでガリガリにやせ衰えるのです。
飯場の手配や、労働者たちのための炊事や食料の調達、宿場の手配といった、いわゆる人を使うための基本的な計算は、何もありません。
作業員が死ねば、その屍体の肉が生き残った作業員の食料になるだけのことです。
これが権力者による、強制労働です。
日本の軍人さんたちが、シベリアで抑留された時も、同じ眼に遭っています。
これに対し、日本が古来行ってきた土木工事は、合意による土木工事の推進です。
仁徳天皇の御陵もそうですし、近いところでは、ダショー西岡のブータンにおける農業指導も同じ、カンボジアの中田厚仁さんの活動も同じです。
みんなが納得するまで、時間をかけて話し合い、合意を形成して、みんなで努力して大きな工事を仕上げて行く。
それが日本流です。
そしてこれを行うためには、言い出す人、合意形成の中心となる人は、みんなから、「ああ、あの人が言う事なら、もっともだね」と、みんなが自然と協力しようという気になる、あるいはそうさせることができだけの人間力を備えた人でなければなりません。
そこに至るためには、人間が相当鍛え上げられていなければならない。
けれど、おかしいのです。
「稔るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉がありますが、それだけたいへんなご苦労をされ、また実績をお持ちでありながら、中山恭子先生は、実に、まさにやまとなでしこの名にふさわしい、おっとりとしたおやさしさをお持ちなのです。
人間は、鍛えれば鍛えるほど、腰が低くなり、やさしくなれる。
そういうのって、本当のことなのだなあと、感心してしまいます。
たくさんの女性の方々と同席される機会に、なんどか立会わせていただきましたが、実際にお会いになる女性の方々が、みなさん、一瞬で中山先生のファンになってしまわれます。
これまた、実に不思議な事ですが、中山先生なら、さもありなんと、納得してしまいます。
もうひとつエピソードをご紹介させていただきます。
中山先生が、ウズベキスタンの大使だったとき、日本人の鉱山技師4人が、タリバンに拉致された、そのときのお話です。
あの、「タリバン」です。
機関銃を持って武装しているイスラム原理主義の過激派です。
人を殺す事をなんとも思わない連中だ、ということは、みなさまもご存知のことと思います。
実は、そのタリバンの中でも、とくに過激派と言われる一味が、過激行動をするために、その準備と訓練のために、山にこもろうとしたのです。
そしたら、たまたまそこに日本人の鉱山技師が、山の調査に来ていました。
そこでタリバンたちは、日本人4人を拉致して、キリギスに逃げ込んだのです。
当時、ウズベクとキリギスの大使を兼任していた中山恭子先生は、情報がもたらされると、すぐに、日本の外務省に問合せをし、指示を仰ぎました。
「どうしたら良いですか?」
すると外務省の答えは、
「カザフスタンで拉致されたのだから、カザフの政府にすべてをまかせて、静観しなさい」というものでした。
もちろん中山先生は、抗議しました。
「犯人グループは、カザフで拉致し、いまはキリギスに逃げ込んでいるのです。カザフ政府の守備外です」
外務省の答えは、
「それでもいいから、カザフにまかせなさい」というものだったそうです。
日本人の鉱山技師の4人は、いま、その瞬間も、機関銃を持ったタリバンに囲まれているのです。
外務省流のやり方では、日本人鉱山技師4人は、いつ命を奪われるかわからない。
そこで中山恭子先生は、夫である中山成彬先生に、電話で相談されたそうです。
成彬先生の答えは、明快でした。
彬「全力で救出しなさい。それがあなたの仕事です」
恭「でも、相手は武装しているんですよ」
彬「武装してようがどうしようが、助け出すのが私たちの仕事だよ」
下手をすれば、妻の命が失われるかもしれない、という局面です。
それでも公の職務を優先する。
それが夫である成彬先生の明快な答えだったわけです。
成彬先生は、このとき、妻に万一のことがあれば、自分も死ぬ覚悟です。
夫の強い決意に支えられて、恭子先生も決意が固まりました。
恭子先生は、スタッフらとともに、キリギスの山中に潜むタリバンのもとに向かったのです。
途中からは、車も通れない山道です。
そこからは徒歩になります。
けれど、機関銃で狙われる恐怖に、同行した男たちは、足がすくんでしまい、途中で動けなくなってしまいました。
結局、恭子先生と、通訳の二人だけで、山中深く入り込んだのです。
そしてタリバンの過激派グループと遭遇します。
恭子先生は、訪問の趣旨を告げ、リーダーに会いたいと話しました。
タリバンの側は、絶対に誰も来れないと思っていた山奥に、日本人の女性がひょっこりと、しかも丸腰で尋ねてきたことに、度肝を抜かれました。
そして、リーダーが面会に応じたのです。
恭子先生が、「日本から来ました大使です」と告げました。
すると、タリバンのリーダーは、「俺は日本を知っている」というのです。
そして、
「ここに来る前、日本のテレビ番組の『おしん』をビデオで全部観た。とても共感できた」と言いました。
そこからは、恭子先生と、タリバンのリーダーの「おしん」談義が始まったそうです。
そしてすっかり打解けたタリバンのリーダーは、日本人鉱山技師4人の釈放に応じたばかりか、帰路、なにかあってはならないからと、恭子先生以下、帰る日本人全員に、護衛までつけてくれたのです。
敵も味方も人間です。
その人間をどこまでも信じるという恭子先生のお人柄が、ついには、氷のような警戒感のかたまりになっている武装ゲリラの心をさえ、溶かし、人としての心を取り戻させてしまったのです。もちろん、身代金の支払の必要さえありませんでした。
これが人間力だと思うのです。
そして中山ご夫妻の、きびしい決断は、本気で国を想う心のあらわれだと思うのです。
中山恭子先生については、北朝鮮の拉致被害者の返還に応じなかったというエピソードもあります。
このことについては、「中山恭子先生の凄味(リニューアル版)」に書いていますので、是非、ご参照下さい。
参院選で、絶対に通っていただかなくては困る先生が、私は、中山恭子先生だと思っています。
私は、21日の投票日は用事があるので、先日、不在者で投票に行ってきましたが、比例区には「中山恭子」と書かせていただきました。
投票したとき、なぜかとっても誇らしい気持ちになりました。